経済史
ヨーロッパ人がニュージーランドに到着し始めた頃、先住民のマオリ族と出会いました。マオリ族は、農業、漁業、狩猟で生計を立てていました。貿易は物々交換で行われており、通貨や土地の所有権といった概念はありませんでした。
ヨーロッパからの最初の入植者の多くは、アザラシ狩り、捕鯨、林業などの活動に従事し、マオリ族と食料やその他のサービスを交換していました。
1840年、英国王室といくつかのIwi(マオリ族の単位)はワイタンギ条約に調印しました。ヨーロッパからの最初の入植者がニュージーランドに到着したのは、この頃です。
土地の所有権の意味を誤解していたマオリ族は、気づかないうちに自分の土地を売ってしまっていました。緊張感の中で紛争が起こり、王室による土地の没収が相次ぎました。
1860年代を通して、ヨーロッパからの入植者が増加し、ヨーロッパの病気やアルコール、武器の輸入により、マオリは衰退していきました。マオリの人口が回復し始めたのは20世紀に入ってからです。
また、1860年代にはテムズやオタゴで金が発見され、ゴールドラッシュが起こりました。この頃、ニュージーランドでは羊の飼育が始まります。イギリスでの羊毛の需要は、ニュージーランドの経済を大きく押し上げました。
ニュージーランドとイギリスの経済関係は拡大を続けました。冷蔵設備の導入により、ニュージーランドはイギリスに食料品を供給できるようになります。1914年には、ニュージーランドは世界で最も裕福な国の一つとなりましたが、その一方で不平等もありました。
戦争
第一次世界大戦により、ヨーロッパの農業生産は混乱し、ニュージーランドの製品に対する需要が高まりました。農地は急速に値上がりし、バブルが発生しましたが、1929年の世界的な経済不況で崩壊してしまいます。農業に関連する多くの産業が影響を受け、ニュージーランドは経済恐慌に陥りました。
1931年のネイピア地震では、都市の復興に向けた投資が行われ、地域経済の活性化につながりました。1932年になると、ニュージーランド政府は通貨を切り下げ、ヨーロッパの輸入業者にとってニュージーランド製品が安価になるようにしました。また、1932年、英国とニュージーランドは帝国貿易に関するオタワ協定に調印し、英国市場におけるニュージーランドの地位を強化し、帝国以外の競争相手を犠牲にしました。
1935年、新たに選出された労働党政権は、中央銀行(ニュージーランド準備銀行)を国有化しました。また、新政府は、農業マーケティングや貸金業を支援する政策を打ち出し、国営住宅計画を開始しました。
戦後
第二次世界大戦後、ニュージーランドの経済は低迷を続けました。1960年代に入ると、イギリスはニュージーランドを含む英連邦のパートナーから離れ始め、欧州経済共同体(European Economic Community:EEC)に参加しました。
ニュージーランド政府は、輸出先を多様化する必要があると考え、オーストリアとの交渉を始めます。1965年には、ニュージーランド・オーストラリア二国間自由貿易協定(New Zealand – Australia Free Trade Agreement:NAFTA)が締結されました。FTAは1983年に経済緊密化協定(CER)としてさらに強化されます。
1973年から1984年にかけて、ニュージーランドは相次ぐ経済危機と政府の不手際により、インフレと失業率の上昇に見舞われました。
改革
政権への不満から、1984年に労働党政権が誕生しました。就任後数週間で、経済の規制緩和を目的とした大規模な改革が行われました。
政府は金利規制を撤廃し、金融市場を開放し、1985年にはニュージーランド・ドルを変動相場制にしました。貿易を支援するため、政府は貿易組織を民営化し、関税を引き下げ、輸入許可を廃止しました。
信用規制が撤廃されたことで、民間企業の借り入れが増加しました。資産価格は急上昇し、ニュージーランド経済は拡大していきます。利益を上げたい銀行は、貸し出しの基準を下げました。しかし、1987年の株式市場の暴落により、多くの債務不履行が発生したため、銀行は金利の引き上げや貸し出し基準の引き上げなど、貸し出しの抑制に奔走することになりました。
1984年からはニュージーランドドルが高騰し、ニュージーランドの輸出品の競争力が低下しました。農業分野では、多くの農家が農場を売却して都市部に移住するなど、大きな影響を受けました。輸入品が安くなったことで、ニュージーランドの製造業は打撃を受けました。また世界的な景気後退は、ニュージーランドにさらなる打撃を与えました。
解放経済
90年代初頭には年間インフレ率が一桁台前半にまで低下。景気回復は1991年末に始まりました。1998年に一時的な中断がありましたが、その後も力強い成長が続き、2006年には国内で最も長く、力強い成長期の一つとなりました。
農家では、ワイン用のブドウなどの換金作物への多角化が進みました。製造業は効率化と輸出に力を入れました。また、サービス経済への移行が徐々に進み、海外旅行の相対的なコストが下がったことで観光業が盛んになりました。
2008年の世界金融危機により、ニュージーランドは一時的に経済不況に陥りましたが、その影響は他の多くの国に比べて軽微でした。中国やオーストラリアからのニュージーランド製品への強い需要により、経済は成長を続けました。